腰痛の酷ささえなくなれば、自ら未来を開けると信じていた日々

ジョナサン・アイブが疲れてしまって、Appleを辞める話が巷を駆ける中、この僕も疲れてしまっている。

持病の腰痛がかなり酷くて、思うように動けない日々を過ごしているのです。

慢性的に腰が痛く、それでも半年ぐらいはだましだましやっていけたのですが、最近いよいよダメになりました。

いまさっきも、いつも行く整骨院で治療を受けてきました。

面倒なのが、完全に治らないまでも、ある程度快適に動けるまで何回も通わないといけません。会社が終わり、すぐにでもブログを書いたり、写真を現像したり、映画やアニメを観たり、やりたいことがあるのにその時間が削られてしまいます。

残念でなりません。

しかし、そのまま痛い腰を持ちながらの生活は、何をするにしても億劫で、気持ちが全く動かない。健康あっての創作であり、鑑賞なのです。

この腰痛。青天の霹靂のごとく突然我が身に降りかかりました。それまで、足腰は人一倍丈夫と自画自賛していたのに。ギックリ腰とは違い、慢性的に痛く。長時間椅子に座ることもできません。

背筋を強制的に伸ばす腰痛防止のサポートシートを使い、なんとか仕事をしています。腰痛が治ることはありませんが、座っているときに背筋が伸びていると、腰の痛みが軽減して助かります。

初めて、腰痛になったときは本当にひどかった。背筋を伸ばして立つことおろか、寝ることもできない。背中に何か当たっていると激痛が走り、一睡もできなかった。

その時ばかりは、ちゃんとした整形外科に通い、痛み止めの薬を飲みつつ、一心に回復を願っていました。数ヶ月かけ、ようやく痛みが和らぎ、眠ることができたときには、人生の勝利を手に入れたと思ったほどです。

それほど、痛みが消え、普通に動けることを希望に生きていました。

考えてみれば、こうしてなんとか動けるのに、日々の人生の中で不安や不満に囲まれていることを、それを自分自身で引きずって生きていることを、不可解に思います。

ただ、動けるようになれるだけを、一心に願っていた時、これが取り除かれれば自分の力で全てを開くことができる。と、考えていたのに。

なんとも、人は贅沢で哀れな生き物なのでしょう。僕が、僕だけが、そうなのかもしてませんが。さて、腰痛を抱えながら、不安に苛まれながら、我儘な気持ちを抱えながら、明日もなにか書いてみるつもりです。

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