大林宣彦監督が亡くなられました。

特別な作品

監督の作品は特別でした。彼しか作り得ない唯一の映画。表現方法。映画という表現媒体が自由である事を教えてくれました。

正しい演技や脚本んで、時間を流し物語を作る、そんな正しい撮り方を無邪気に壊して、僕たちの目の前に放り込んでくる。

もうこれが、楽しくて仕方がなかった。

合わない人は目を伏せるだろう、いや、憤慨して椅子を蹴って、ビール缶(ジュース缶?どちらでもいいけど)を銀幕に投げつける。そんな映画を延々齢80過ぎまで作ってきた。

この人の作る映画は、それだけ無邪気で美しい。どれを切り取っても大林宣彦って、ラベルがペッタリと貼っている。映画少年、青年、中年それぞれの段階で、彼の映画は欠かせないものでした。

美しい女性が名画の証

非人間的な彼の映画はそれだけで魅了されるものだけど、彼の映画の中で、僕が最も愛していたのは、女性の撮り方。彼の映画に登場する女性、主に少女と言える存在が、とても美しかった。

古今東西、名画を判断する基準は、映し出された女性の美しさであると信じています。

色っぽいだけじゃ無い、容姿が美しいだけじゃ無い、表情、特に眼差しに生命が宿り、この世のものとは言えないほどの、輝きを放っている。監督はそれを撮れる人でした。

名監督と言われる人々は皆同じ。ヒッチコック、小津安二郎、黒澤明(彼は男がいいと言われるけど、登場する女性は強く輝き美しい)、忘れやいけないのがビリー・ワイルダー、彼が撮ったオードリー・ヘップバーンは、幼い可憐さと、完成された女性の装いが同居して、目が離せませんでした。それから、やっぱり彼、ブレードランナーを撮ったリドリー・スコット。この映画初見の時はなんとも響かなかったのですが、ショーン・ヤングがひたすら美しく。それだけしか記憶にありませんでした。

脱線してしまいました。大林宣彦監督の描く女性も魅力的。「時を変える少女」の原田知世を誰もが称賛するところですが、僕は「転校生」の小林聡美と、「漂流教室」の南果歩、それと「ふたり」の中嶋朋子(彼女大好きな女優さんの一人)に心を掴まれました。

なんででしょうね。どうしてこんなにも女性を艶やかに撮ることができるだなんて、感性なのか、育った環境なのか、培った知性なのか分かりませんが、希有な才能を持っていることは間違いありません。

でも、最近は銀幕にうつる女性の姿で、一瞬に心を掴まれる。そんな映画はとても少なくなりました。リアル志向の演技と演出のせいか、監督の主観が色濃い作品がなくなったのか。よく分からないですね。映画を見る楽しみがちょっぴり減った気がします。

好きだった作品たち

さて、大林宣彦監督で僕が好きだったのがこれです。言わずと知れた「転校生」、それと「ふたり」切ない中嶋朋子の表情がいい。それと、うつ病なのかな精神的に不安定な母親役の 富司純子。彼女が電話を取った後、確か倒れる場面がある。その様子が、精神的に不安定な状態だった僕の母親とあまりにも似ており、ショックを受けた覚えがあります。

次に思い出すのは「漂流教室」これは意外だと思われる人もいるはずです。

僕としては、大林宣彦監督の集大成だと思っています。奇想天外な物語運び、うつつの世の中で糸口も見せず、消化されずに終わってしまう。それでもいい、それだからいい、なんたって大林監督なんだから。

観終わり興奮しながら映画館を後にしました。

その後、この映画の評価を書かれた本をいくつか読んだら、散々に酷評されており、あんまりにも酷いもんだったから、僕の審美眼を疑い、落胆しました。でも、僕としては女の人は美しかったし、映像は魅惑的、音楽は可憐、化物がピアノそこが良かった。印象的な物語運びは心ときめくものでした。

それから「異人たちの夏」かの監督では珍しく大人をちゃんと扱った作品。評判も良かった。それなりに楽しめました。最後の実は幽霊は笑っちゃいましたけど。

誰かが観続ける希望

短く追悼の言葉をと思っていたら、なんだか長々書いてしまいました。どうしたって、かの監督は僕の青春映画。思春期の不確かな気持ちに寄り添い、どうしようもない現実を非現実に逃避させてくれた恩人です。

こんな監督は日本でも世界でも、もう生まれないかもしれません。常に遊んで、壊して、それでいて、中身は変わらず作り続ける。それほどの余裕を今の映画は持てない。それを寂しいといえば当たり前ですが、大林監督の作品が死しても世の中に残り続ける。そして、それを誰かがどこかで観続ける。その、希望を持ってかの監督を送り出したいと思います。

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