「TAR/ター」を観た良かったー!(べだで下手なオヤジギャグ)ネタバレ結構あり注意

最近は面白そうな映画でも、飛ぶように劇場から消えて行く。「TAR/ター」この作品も例外ではない。この間上映が始まったと思っていたら、1日一回。そして残酷にも朝9時からという過酷。

これでは、どれほど名作、秀作、優作だとしても、映画館に足を運ぶのは至難の業。特に、僕のような朝が苦手な人間としては。

しかし、今観ないとあっという間に上映が終わる。今日は映画の日。仕事に区切りが付いた。代休がたんまりと溜まっている。今観ないといつ観るのか?ゆったり寝坊を楽しむ贅沢を捨てて、そそくさと家を出て、9時の上映に向け走り出す。

朝の通勤時間、道がかなり混んでいる。いつもは20分もあれば到着する道が、一向に動かない。気が気でなかったが、無事に上映開始に間に合った。

自称クラシック好きの僕としては、指揮者で、オーケストラ、奏でられるのはクラシックそれだけで、見る価値ありと満足。かなり贔屓目に見てしまう。

だから、冒頭から延々とつづくクラシック話に相槌を打ちつつ、楽しめた。ここが、主人公の高慢ちきな性格を象徴するところで、そこからの落差が物語の重要な部分。さほどクラシックに興味のない人は、ようわからんことを意気揚々と語って、知識をひけらかす嫌味なヤツと、悪印象を意識に植え付られるだろうけど、この冒頭のインタビューと、知り合いの指揮者や関係者といかにも上流国民みたくクラシックを語り合っているところ。監督の意図した事とは真逆に、あんまりにも楽しくて、必死に字幕を追うのだった。

いろんなレビューを見渡したが、この映画のこんなところをよかったなんて言っている人は皆無。物語の根幹とは違うから、喜ぶのは物好きの僕ぐらいだろうか。

指揮者の意味と価値のところや、初めての指揮者は棒で床を打ちながら拍子を取った。そして、自分の足を打ちつけて、その怪我が元で亡くなった。クラシック好きならば知っているだろう逸話。そして、話とは全くないのだけど、胸にグッときて涙が出そうになったフルトベングラーが、戦後ナチ裁判にかけられたところ。これも有名な話。これが原因で戦後フルトベングラーの寿命が縮まったとか。噂されるぐらい過酷だったらしい。

それから、マーラーの5番を録音するために、リハーサルを繰り返すのだけど、その中で、冒頭のトランペットの音を遠くの方から聞こえてくるようにしたいと、本当に離れた別室からトランペットを鳴らした場面があった。これって、確かトスカニーニか誰かが、それともマーラー本人か、すっかり忘れてしまっけど、誰かが実際やったこと。

クラシック好きならば、ニタニタ嬉しくなる場面が多数ある。

ちなみに、主人公の悪虐非道なところを表現するためか、大学の講義の時にバッハを非難して聞かない、学ばないと頑なに語る生徒に、あらゆる言葉を尽くしてその愚かさを語るのだけど、正直、主人公の肩を持ってしまった。

確か、白人で大家族父家長制主義の権化で権威的だ、彼のそんな彼が作り出した音楽なんてと嫌悪していた。でも、それだけで聞く価値がない、学ぶ意味が無いと考えるのは、あんまりにも勿体無い、すごいいいのだから。というか大学でちゃんと音楽を学んでいるなら、どうしたってバッハから逃れられないはずなのだけど。

ちなみに、ここでも変なところで妙に感動してしまう。ターが学生を論破するときに、ピアノでバッハをちょっぴり弾くのだけど、そこで、グールドならばこんなふうに弾くと、弾き始める。個性的で特徴的な指先の動きと、背を曲げた弾き方までそっくりに、もちろんそこから出て来る音は、正真正銘グールドなんだから嬉しくなって、涙が出そうになっちゃう。(気持ち悪いか)

この辺のわかる人には、頬が緩んで、涙がちょちょぎれる(古いかぁ)表現満載で、それだけで楽しめた。

で、お話のことなんだけど、これが妙にわからん。久しぶりに白人中心舶来の実写映画で、芸達者の面々が顔を揃えている確かな作品で、文句なしに満足度は高かったと、思うのだけど、じぁどこと、どこが、どのようにと論理的に説明せよと言われると、途方に暮れてしまう。

なぜだろうか。これはもう監督が絶妙に肩すかしを食らわせるからだ。

この映画、音楽家の才能や創作の苦悩の物語か?と思っていたら、いやいや、権力のある人間のセクハラ、パワハラの物語でしょう。そうじゃなくて、裏切られた女性の霊が復讐にやってきたホラー。とんでもない、今の世相を反映したSNSでの誹謗中傷、泥沼転落人生、からの再生の物語っだったよな?

なんて、次々と主題が顔を出してきては、引っ込んで、そしたらちょっとだけまた出てきて、その繰り返し。絶妙に見えるか見えないかのところで、どの話も舌足らずで、時間ばかりが過ぎていく。面白く無いわけじゃ無いので、面白いのだけど、魅惑的で引き込まれのだけど、僕の貧相な水準基準では、今一歩。

この話の、中心となるのが、新たにオーケストラとの録音。ターが念願の記念すべき楽曲と選んだのが、マーラーの交響曲5番。これのリハーサル風景が重要な場面としていくつか出てくる。

ちょっと話は逸れるが、観ていて気がついたのが、どうもこの映画、バーンスタインとマーラーをやけに入れてくる。初めの方にレコードジャケットを床に並べて、足で選んで行く(すごいんだこれが)そして選ばれたのがジャケットにはバーンスタインの横顔。なぜ?バーンスタイン?思った。フルトベングラーでなけもば、カールベームでもない、もちろんカラヤンでも、トスカニーニでも、ブルーノワルターでもない。何か、彼に思い入れでもあるのか?

そして、マーラー。妙に腑に落ちない。なぜにマーラー。正直とても扱い辛い楽曲だと思う。モーツァルトが当たり前に軽やかで、複雑で、繊細で美しい、それだからこそすこぶる手こずりそうならば、重め確実絶対のベートーヴェン。当たり前すぎるなら、個人的には大衆寄りのベタな感じもするのだけど、(あくまでも個人的な感覚)ちゃんと技量があり、表現力に確固たる高みがあるならば、ブラームスは外れがない。なんて凡庸にも考えた。

話の中でユダヤ系の話が少し出てくる。ユダヤ人じゃなけなば、素晴らしい演奏はできないのかなんて会話を指揮者仲間と話して、そんなことナンセンスと言っていた(と思うのだけど、細かな枝葉は忘れてしまった。)

で、マーラー。彼はユダヤ系。そして、バーンスタインと共通するのは、バーンスタインもユダヤ系。そのおかげとは単純に言えないが、マーラーとバーンスタインは相性がいい。交響曲5番なんてとても素晴らしい。今思い出すに、初めのレコード選びはバーンスタインのマーラー5番で決着が付いたってことか?ちらっとしか出てこなかったので、ようわからんかった。

観終わってから、ずっと、あれこれ場面を思い浮かべながら、頭の中で反芻している。完全に決着が付く部類の映画ではない。満足したとは書いたが、大いに不満足なところがある。だからこそ、頭の中で語り続けている。

とにかく、あらゆる意味深な場面が、重要な物語が、あちらこちらから顔を出す。それら全てがターの人生を狂わす一大事。ただ、それら全ては着地点を見せないまま、彼女うの人生の終焉に織り込まれて彼女の物語を紡ぐ。

考えていて、正解か不正解か、監督の意図か確信が持てないけど。マーラーの交響曲みたいだと思った。そうしたら、なんだか妙に腑に落ちた。

マーラーの音楽は、さまざまな音楽が盛り込まれて、突如として顔をだす。一貫した旋律ではなく、突然と不協和音のように音楽が鳴り響く。それには制約が無く、民族音楽をそのまま放り込んだりする。だから、彼が発表した当時は、”下品”なものとして嫌悪とまではいかないけれど、音楽家からは高い評価を受けず、埋もれていたようだ。

それが、後年になり、発掘されて再評価されるようになった。

次々、音楽が飛び出して全体のうねりを作る彼の音楽に、妙に似ているこの映画は。それは、監督が意図したことなのかは、誰も彼も語っていないので、僕の妄想かもしれないが、この映画はマーラーだと思ってみたら、すごくしっくり胸に響いた。ほんと、マーラーの交響曲みたいにあちこち物語が挟まってくるのだから。

で、この映画マーラー交響曲のように、なんだかよくわからんし、収まりの悪い話の連続が、全体的にはターの人生を浮かび上がらせ、感慨深くこうして何度も頭の中で、忘れえない思考の遊びを楽しませてくれる感動を与えてくれている。

で、この映画。最終的な結論として、ターが本当の音楽の素晴らしさを得た。彼女の本当の音楽人生が始まった。と、考えていいのだろう。か?

そうに違いないのだけど、一面的に良かったと手放しでは喜べないような、腑の落ちなさが最後の最後までつきまとう。読解力不良のなせる技か。

あれよあれよという間に。ほんと、場面が変わるたびに最悪に変わっていく。説明無しで。編集と演出の旨さでなんとかわかるほどの不親切さで。

失意の中で、故郷に帰る。これが、アメリカの片田舎。家も普通の民家。それどころか見すぼらしいと言った方が良いほど。そこで、彼女の出自が分かる。家に帰って自分の部屋に戻り、膨大に並べられたビデオテープから、一つ選び再生する。

それには、レナード・バーンスタインが子供向けにやっていた音楽番組が収められていた。彼女は特別な裕福な選ばれた上流階級ではなく、音楽への憧れと焦燥で道を進んできた人間。音楽に対するバーンスタインへの言葉に涙を流す。

映画全体に漂う、彼女のレナード・バーンスタインへのこだわりなのか、なんなのか、思い入れが、ここで分かった。彼への思い入れの描き方は、脚本を書いた監督の思いなのか、とりあえずクラシック映画としての色付けなのか、わからないけれど。僕だとフルベンになるかな。

そして、心機一転。アジアの国に渡り、そこで、客演指揮を行う。

幼き若い演奏者に、音楽の意味を考えさせ、見すぼらしい屋台で自身でも楽譜を読み込んで、いざ、演奏会。

確かに、書いたら音楽家の音楽への魂の再生なんだけど、どうも、しっくりこない、それだけでない、綺麗には済まさない監督のイタズラが仕込まれているのかも。ある種の狂気なのか、なんなのか暗鬱さが全体に漂い終わる。

衝撃的なラストとか言われているけれど、確かに、ついこの間までベルリンかウィーンか知らないけれど、最高峰のオケと環境と称賛の中で、鼻高々に演奏していたのを、前半いやというほど見せられていたから、胸にくるもどかしさは半端ではない。

でも、客観的に現実を見たら、人や権威ではなく、音楽のみで人を感動させ、歓喜させる純粋な世界に導かれた彼女の姿は、拍手すべきなのかもしれない。

とにかくその辺を、すっきりと、くっきりと、エンターティメントしないのが、この映画のおもろく、もどかしいところなんだけど。結論として、何度も見返して楽しめる、楽しむべき良き作品ってことで。

それにしても、昔ならば、もっと話題になって、映画館でロングランしてもいいと思うのだけど、あっという間に上映されないは、全然話題にならないは、寂しくて残念で仕方がない。それと、ケイト・ブランシェットにアカデミー賞あげて欲しかったなぁ。(世の勢いからしたら難しいことなのだけど)

↓人気ブログランキングに登録しています。記事がよかったらクリックをお願いいたします。


人気ブログランキングへ