凡庸”京都”雑記「路地」京都はやっぱり気まぐれにわがままに
物見遊山
今年のお盆、京都の有名な寺院を回って楽しい時間を過ごした。今まで、気になっていたお寺を巡ることが出来て、人生心残りが無くなった。なんてことはないけれど、良い経験になったのには間違いない。
歴史に詳しければ、もっと楽しめたかもしれないが、疎い僕は、表面的になぞっただけで、物見遊山の観光客そのもの。
見事な景観
ただ、美しい景観と、どこかの旅行雑誌で見たことのある歴史的建物に、否が応でも撮影欲が盛り上がる。日本の背後の歴史云々は皆無だが、盛り上がる写真への意欲をそのまま、シャッターを切り歩いた。
難しいのは、どこを見ても、見事な景観。写真の軸足が見つけにくい。自分の目線を作りたかったが、そんな、余裕も感性もありやしないので、観光雑誌にあるように露出を絞りに絞って、広角めにして、全体がわかりやすいように大見え切った撮り方をする。
写真家としては、失格な取り方だが、お登りさんの物見遊山素人写真家だから、これで
良し。
くめども尽きない京都恐るべし、だ。
正直京都は路地が一番
でも、本音で言うと、有名どころの観光資源よりも、僕個人は、なんとはない、偶然出会う、京都の路地が良い。
仕事のついでとか、(ほとんどそうだけど)京都に行くと、ひたすらふらふら歩いていて、当て所もなく彷徨う。目線の先におもろいものが横切ると、そちらに向かって、歩き始める。
だいたい、そこには”京都”だなぁと嬉しくなる風景が置かれている。
これぞ、一期一会ってところだろうか。なんて、かっこの良いことを書いてはいるが、高い観光場所に支払うお金がないことと、計画性が皆無のわがままなのと、めんどくさがりの変わり者だっただけの話。
今度はいつ京都に行けるかわからないが、今度はどこに行こうか、次も気まぐれに、わがままに。楽しみで仕方がない。