凡庸雑記「販売」MacBookProを初めて店に売りに行った顛末記

ヤフオクで売れない

ちょっとショックなことがあった。完全に時流を見誤った僕のせいには違いないが、今まで大切に使っていたMacBookPro16inchが、ヤフオクで売れなかったのだ。

吊るしのモデルではない、ひと昔ならば、結構ハイスペックでブイブイ言わせていたMacである。買った時は、もちろん、当たり前に、ヤフオク中古品だけど、かなり奮発して落札したMacだ。

当時は最高速度のCorei9。SSDは驚くなかれ1TBの大容量。そして、出た時はその広々としたディスプレイで、ありとあらゆることがこなせると褒め称えられた16inch。通常業務はもちろん、高度な創作活動も難なくこなせる、優れものである。

だから、大船に乗ったつもりで、安易に考えていた。

いくらM何某が出ようとも、根強いマック好きが地の果てから押し寄せて、我も我もと手を挙げるだろうと。事実、今までがそうだった。多少古くなったMacだったとしても、期間後半には、いくつか入札が行われ、気がつけば、”おめでとう落札されました”とのメールがiPhoneに贈られて来た。

それが、どんどん時間は過ぎていくのに、一向に入札は無く、気がついたら、オークションの期間が終わっていた。

今の時流を見誤ってしまった。しみじみ、そう実感する。

皆がM何某を求めているのに

しかしだ、離れて、落ち着き振り返るに、赤面顔で我と我が身に、いったい何様だと叱責しているに違いない。世の中、見事なまでにM何某が主流。現に、今使っているM1 MacBookProにおいても、音もなく、素早く、時間を気にせずいくらでも使い続けられる。この類稀なる性能に、画期的な変化に、近年稀に見る素直さで歓喜している。

皆がそうなのだ、それだけの話なのだ。

これまでに、素晴らしい才能を持ち合わせたM何某を、皆が喉から手が出るほど欲しがっているだろう。我もそうだ。それなのに、一度、ヤフオクに写真を挙げれば、我先に手を伸ばすだろうなんて、安易に考えるのは愚かなことである。

意を決して門を叩く

しかし、ここで諦めるわけには行かぬ。世間からは必要とされてていないものと、捨て置くわけにはいかない。なんたって、売った金を大いにあてにしていたからだ。これが消え失せてしまったなら、支払いの目処が霧散してしまい、路頭に迷ってしまう。

そこで、意を決し、初めて中古ショップの門を叩いた。

事前に店で確認すると、調子が良ければ9万円で買い取ってもらえるらしい。ヤフオクでの金額設定が10万だったから、これで買ってくれれば、ありがたい。それに、ヤフオクは手数料を10%取られるから、実際の手取りは変わらない。

綺麗にMacBookProを清掃し、片付けていた箱を取り出して、中にあった備品を整えて、いそいそと近くの中古PCショップへ。

不安と期待で、店に着き。買い取って欲しい旨を伝えると、Macの仕様を確認し、基本の買取金額を教えてくれる。前調べた時には9万円と言っていたが、8万円台とのこと。

よくある話と、笑顔でそれで。と、返す。

もう少しと言うまい、ただ感謝

それから、書類を書いたり、店のユーザー登録をしつつ、細々と条件を聞き、買取の手続きを進め、ようやく終わると、やっと査定が始まる。約一時間半ほどかかるとのことで、昼食と仕事を兼ねて、マクドナルドに直行。

仕事がかなり立て込んで、予定の時間を大幅に超えて店に戻る。引取り書を店員に渡すと、うろうろしてなかなか戻ってこない。もしかしたらと、一抹の不安に苛まれたが、戻って来た店員、あっさりと、「動作確認が出来たので、予定金額でお支払いします」と宣う。変な汗が出たが、無事、買取が終わって胸を撫で下ろす。

手にした8万円と数百円を見つめながら、もう1、2万あったら、ニコンの50mmも買えたかもしれないのにと、余計な気持ちが湧いてきたが、それは、強欲ということで、無事、MacBookProが旅立った事に感謝。

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