凡庸”手帳”雑記「過ち」どうして僕は、今年半分を過ぎたにもかかわらず、新しい手帳を迎え入れたのか

ロフトでふらついたいたら

やってしまった。ほんの出来心だった。何気なく、ロフトをふらついたら、手帳コーナ

にたどり着いた。

どうしようもなくいい加減で、堪え性のない僕は、あわれにもまた、手帳を買ってしまったのだ。この時期になって。

ロフトとほぼ日

今日、久しぶりに訪れたロフトをふらついていたら、いつの間にやら、手帳コーナーの前に立っていた。

そして思い出した、ロフトと言えばほぼ日手帳。浅からぬ間柄のロフトとほぼ日。どこのロフトでも、ちょっとした特設コーナーが設けられている。

今年はすでに、ほぼ日手帳のWeeksを使っているから、買うことはないけれど、もしかしたら、目をひく何かがあるかもしれないと、余計なすけべ心に誘われ。時期を失して、閑散としたほぼ日手帳棚の前に。

そこで、意外なものと出会ってしまった。

半分だけを売っていた

ほぼ日手帳のオリジナルを年半分で分けた分冊版avecと。それが、なんと、普通は一年を通して、2冊セットで売られているのだけど、年後半だけが売られていたのだ。

もちろん値段も半分。(と思う)当たり前だが、不要な年前半を買う必要がないから、余計なお金も必要ない。

愛した手帳との倦怠期

実は、ほぼ日手帳Weeksと倦怠期に入り、使うたびに愚痴が出てしまっている。パタっと開かないから、書きたいときに書けない。書く場所が少ないから、思うように書き記すことができない。そして、書いた後、いったい何を書いていたのかわからないし、どこに何を書いたか、探し出すのに四苦八苦してしまう。

もちろん、僕個人的な、使い方の問題なのだけど、人というのは劣った部分を、なるべく自分以外を原因にしたいものだ。使い方一つで、見事なまでの人生の伴侶になるだろうこの手帳へ、一方的に三行半を突きつけてしまった。

そして、頭に浮かぶのは、一日1ベージふんだんに、思うがまま、書き記すことができる、オリジナルほぼ日手帳のこと。

気がついたら電子マネーで買っていた

だけど、今年も早、半分以上過ぎた今、よからぬ浮気心は捨てるか、箪笥の奥に封印して、静かに余生をほぼ日手帳Weeksとすごすべきだと、考えていた。

それがだ、今年半分の量を、半分の金額で求めることができる、ほぼ日手帳オリジナル分冊版avec後半戦と出会ったら最後、気がつけば、無人レジに赴き、ピッとスキャンして電子マネーで支払っていた。

微熱的興奮に胸熱く

今更ながら、新しい手帳を買ってしまうだなんて。自分の浅はかな行動に、情けなく愚かだと痛感している。だけど、手にしたほぼ日手帳の書くことへの快適さは、正気を保って余生を送るには、あまりにも魅惑的過ぎたのだ。

後悔となるか、新たな創造の公開となるか、今年の残りの日々、どうなるのか不安であるが、今は、微熱的興奮に胸を熱くしている。

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