凡庸”手帳”日記「迷い」

もうそろそろ来年の手帳を決めなくては、買うか買わないかも込みで。

今、何の因果か、ほぼ日手帳を使っている。これは、衝動的に年半分のものがあったので、買ってしまったものだ。

1日のいろんなことを書き留めたいと買って、せっせと書いているが、忙しくなると、デジタルメモばかりになってしまう。これでは、全く用をなさない。

それに、せっせと書いても、いつ何を書いたのか忘れてしまって、肝心のメモを探すのに四苦八苦。それどころか見つけられないこともある。前は、もっと見つけられたのに、どうしてだろうか。

この点、デジタルだと検索をすれば出てくるので、見つけられないてことはない。ズボラで、何よりも天下の悪筆の人間には、高尚な手書き手帳は身に余ることなのだろうか。

でも、手書きへの憧れが捨てがたく、何とか、デジタルと紙の良いところを駆使して、効果的で効率的、そして、芸術的な行動管理者になれないだろうか。悩む日々だ。

それから、ほぼ日手帳を正しく使っていないのではないかとの、思いもある。

ほぼ日手帳の1日ページの下には、ささやかな文章が載っている。

人生の訓示となるような名言から、失笑を買うような笑い話やら、日々の生活を少しばかり豊かにしてくれる言葉が書かれている。

その日その日メモをする合間に、ふと、目を落とした時、何気なく読み、心を振動させる余裕を持って欲しいという、製作者の意図がある。

慌ただしさの中で、抜き差しならない切羽詰まった事柄を、完璧に処理するためだけに、現実を記録し、行動を企画し、結果を明確にする。そんな、ありふれた仕事人にはならないで欲しい気持ちが溢れている。

で、ほぼ日手帳を買ってから、そんな、優しい思いを無碍にして、まったく、読む豊かさや、感傷も、新鮮な感情も持っていない自分自身に、ほぼ日とは違う世界の住人になったのかと、立ちすくんでいる。

こんな体たらくだから、来年もほぼ日手帳にするのか、まだしどろもどろと思案している。結構高いし、使わなくなったら、メモ当てられない。

スパッと、デジタルだけにすれば、はい終わり!と問題解決だけど、踏ん切りがつかないのが自分の素晴らしさと、愚かさだ。

で、そんな気持ちの隙間に、じわじわと侵略してきている手帳がある。それは、知る人ぞ知るトラベラーズノート。

大手の文具店には必ず置いている。名手帳の一つ。

分厚い革のカバーの手触りが、とても心地よく、所有欲をかき立てる。中身は後から色々と使いたいノートを追加することができるので、工夫次第ではあらゆる方面に対応できる。

問題は少々初期投資にお金が必要というところ。これは、何とかすれば何とかできる金額なので、気持ちがたかぶれば、一気にってことになる。かも。

もう来年のことを考えないといけないなんて、年が過ぎるのが残酷的に早い。手帳の心配以上に、また、ひとつ歳をとってしまうのが、不安で心配で仕方がない。

でも、手帳どうしようか?

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