tokyoaoyama20158 (19 - 91)

↑この記事のネタ元です。

この論争は「籤引き」次第では「自分の考えに反する立場」を合理的で普遍性に富んだ論議を進めて説得する訓練を受ける絶好の場で、多くの人材を育てて来た。この方式の論争で、 囚人の弁論チームがハーバード大学弁論部を破ったというニュースが話題となり、教育としてのデイベートのあり方についての論議が米国で盛り上がっている。

囚人たちがデイベート大会で、ハーバードの弁論部を破ったとの記事に興味が惹かれて、 読みました。

ただ、残念なことに弁論大会の詳細は書かれておらず、最後は日本のデイベート力の 弱さを指摘して終わっていました。

日本人のエリートは国際的な場での弱さを、指摘しています。グローバル化が進み、デイベートの必要性が高まっていますが、それに対応していないとのことです。

それならば英語教育をより進め、語学的に遜色ないようにすればいいとは行かず、 意外にも国際的なデイベート力をつけるためには、国語力を高めることが重要と解いています。ノーベル賞を受賞した赤崎教授は、話す内容が重要で、日本の文化を理解して、自分のアイデンティティをしっかりしないと国際化に対応できない。英語がうまく話せなくても、内容が立派ならは、相手から聞いてくる。テクニックや語学力よりも語るべき内容が重要とのことです。

また、忘れてならないのが、「話の中身を国際的に通する内容にするには、前提条件の設定能力の高さ」が必要と語っています。

日本のエリートが国際的に通じない背景には、「先生(権威者)を妄信する、教科書を覚える、本音建前の処世術を身につける」などの日本的な社会的暗黙知があると指定しています。

どうしても、物事の本質を自身で考えて、論理的に具体的に伝えることよりも、権威や習慣を優先させ物事を決めてしまいます。

国際社会の中で、日本に不利な決定が正されることが多くなりました。座しているだけでは、相手の都合のいい方向へ引きずられてしまうのが、国際社会です。今までの慣習に流されず、自由に考え、自分の考えを具体的な段階まで形作り、相手側の意見と照らし合わせながら、事後の主張を提案していく場が必要になっています。また、それを行える人も。

この記事で、アメリカですが囚人が超エリートであるハーバード大学の弁論部を破りましたが、もしかしたら日本の主張を世界に発信して、世相を動かす人々は、慣習に囚われやすい日本の高学歴者ではないのかもしれません。それこそ、囚人だったり、派遣社員かもしれません。それか、大阪のおばちゃんがもしかしたら、適任者なのかも。

本当、日本だけで閉鎖的な社会を作り、それで物事が進む世の中ではなくなりました。 日本の不利な内容を、他国が自分たちの利益のために仕掛けてきます。しかし、それに対し、日本だからと拗ねた態度を見せたり。感情的になり敵対的に対応したら、即、足元を見られ、より日本が不利になる主著を相手がしてきます。

日本の主張、立場を、冷静に論理的に展開し、公の場で正論として認めさせなくてはなりません。そんなれは日本社会において、経験の場がないどころか、権威を揺るがすこととして、黙殺されてきたことです。その配慮する秩序の中で、全体が支障なく、なるべく摩擦がないように成り立ってきました。

そこをどう変えていくのか、成功体型があまりにも多い日本の秩序社会を残しつつ、今の世界が主張している環境に進めるのか、根本的に日本の社会のあり方ま壊して、作り直すのか。 日本のエリートには二が重い課題だと思うのですが、どうでしょうか。でも、その辺の八百屋のおばちゃんじぁ現実無理でしょうけど。