今回の出張ではiPadを持ってきませんでした。iPhoneとMacを持って行くので、必要ないだろうと選択から省いたのです。
結果、まったく不便ではなく、iPhoneとMacがあるから当たり前ですよね。やるべきことや、やりたいことは問題なくこなせます。
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逆に、iPadだけなら、やりたいことは出来るが、やるべきことが飛び込んできたときに出来ないなんてことがある。
それでも、この数日間iPadをさわっていないと、なんだか無性に寂しくなります。必要は無いけど、無いと悲しい。そんな、存在がiPadです。僕にとっては。
もちろん、世の中の、多くのiPad使いの方々は、MacやPCを使わずとも、やるべきことやりたいこと双方なにごともなくこなし、生活の中で完結させています。
iPadは夢のような機械だと思います。これですべてが出来ればどれだけ素晴らしいのか。と、夢を見させてくれる機械です。
実際には、まだまだ、果てない夢です。それに、多くの似た機械のように、消えゆく運命かもしれません。昔のPalmや様々なものたちのように。
長年お金を費やして、そのことがはかない夢だと分かっていても、PCではないなにかを、頭悩ませること無く、手を迷わせること無く、何気なく、滞りなく、行いことを行える機械が目の前にある夢を捨てられない。僕たちは。
iPadを作り出したAppleが、その夢をはかない幻のままにしないように、人間の創造力の礎となる機械を作り出すために、歩み続けていると、思っているし、信じているし、切なる思いで願っています。
その、希望を胸に、今日も僕たちはiPadを使い続けているのかもしれません。
今、手元にiPadが無いことをとても寂しく思うのは、人が生きるために必要な、希望と夢が無いというこの二つが無いっていうことに、他ならないからだから。
今度も、そこそこ長い出張が、あるのですけど。今度はiPadを持って行こうかなと思っています。
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