「穴」とご主人
こんにちは僕は万年筆です。ご主人に買われて、今飼われています。種族はペリカンというらしいです。
物に釣られやすい性格のご主人は、僕のような高級な筆記用具を持ちさえすれば、創造性を発揮でき、誰からも賞賛されるクリエイターになれると妄想して、僕をインターネットの通販で買いました。
結果は、想像されている通り創造ならぬ想像、いや夢想で終わりました。夢ばかり見て、結果は雀の涙のご主人との日々を呟いて行きます。
さて、今日のご主人はどうだったのでしょう。
僕のご主人、決定的に穴が開いている。
頑張って、人一倍気を使い、あれやこれややっては見るのですけど、最後はなんだかお粗末な結末を迎えます。
他人から見たら滑稽としか言えないようなことで。
なんだか、ご主人の人生そのものに、人にあるはずの大切な部分が抜けているんですよ。ポッカリと。
いい加減で、飽きっぽい、大雑把。でもそれだけじゃないもっと本質的なところで、今までして来た頑張りが、ブッツリ入れちゃうんです。
生来、間抜けな人間ていうのが、世の中にはいます。ご主人はまさにそのもの。
ほら、コメディ映画とかで、本人は必死に右往左往しているけど、床のバケツで蹴つまずき、せっかく集めたものを撒き散らしながら派手に転んで大爆笑。なんて場面をよく観ますが、ご主人の人生はまさにそれそのもの。
人様に嘲笑を届ける素晴らしい人生だとはと思いますが、なんともね〜。
ほんとご主人いいところでボロを出す。
自称天才のご主人。やれクリエイティブだ、エグゼクティブだと、人目を引くことばかりやりたがるのですが、すっごく、お粗末なところで誤ちを犯すんです。
ご主人、自信満々で何か書物をするじゃ無いですか。
本人、超天才だと鼻息荒いことこの上ない。当然、読み返すことなんて必要なしと、確認もしないで、すぐに世の中に出しちゃう。
でもそれを落ち着いて読み返せば、それはそれは酷いもがほとんど。
文章の流れはブツブツ切れているし、つまらない誤字脱字。挙げ句の果てに、基本的な日本語の文法すらおぼつかない。日本語としての体裁も保てていない惨憺たる状態です。
また、仕事の書類なんか作ると、必ずと言っていいほど間違っている。特に数字が駄目ですね。よくぞここを誤ったと褒めたいぐらいのところで間違っています。日付、金額、住所番地、間違いようも無いところで誤ちを連発。とにかくご主人というのは、大穴が空いているのです。
しかし、ご主人は、細かな過ちなぞ本質的には意に介していないところがあり、大局的に素晴らしいことを創造しているのだから、些細なことなど矮小なことだとほざいているのです。
日付なんか違ったって中身が変わるわけない。文法がお粗末だっても内容が良ければいいんじゃない。なんて考えている。とにかく、細かいことに目が向かない。一応、誰かに笑われたり、嫌がられたりすると、人一倍気の小さいご主人、目を皿のようにして確認するのですが、途中嫌になって投げ出してしまいます。どうしても細かなところが抜けてしまう。
世の中なんでこんなにも細かいことが大好きで、そんなことで内容を判断してしまうのだろうかと、頭を抱えているのです。
でもですね。世の中というものは、とくにこの日本という国は、大局が良いから良いとは見てくれないんですよ。だいたいこんなことを語っているなあと分かってくれて、それが良いことだと感じてくれたら。
今度は些細な部分で、吟味していくんです。
そこで、抜けがあったり、誤っていたら、即、大局なんか霧散して、いや、語っていることが壮大な正義ならばこそ、その反動で余計に嘲笑の的にされてしまうんです。
人とは違うなにかを行い、人の目に映るならば、大きなこと以上に細かなことに目を配り、失敗を犯さないように、目を皿のようにして見ていかなくてはならないんですよ。些細な失敗を人は見逃しませんし、それを見つけると受け止めてくれることは皆無なんですから。
逆に、大きなことはしなくても、細かなことに目を配り、鉄壁に失敗をしない人の方が、絶対的に人様から愛されるんですよ。
世の中は減点法なんですよ。ご主人が泣こうがわめこうが。
でも、それだとご主人のいいところは永遠に世に浮かんでは来なさそう。なんたって、失敗しないこと、細かなところに気をつくことは到底克服することはご主人には出来ないことなのですから。