凡庸雑記「出会い」

街をぶらぶら

写真を撮るのが趣味で、時間があれば疲れていても愛用のNikon Z6をぶら下げて街をぶらぶらしてしまう。

この間まで、高松に行っていて、もちろん仕事がらみだけど、超絶優秀で効率の良い仕事をする僕だから、(これは妄想戯言)あっという間に仕事を片付け、(これはほんとで思ったより早く終わる)猛暑の中、余った時間をぶらぶらと街歩きすることにした。

細かく行動目的を決めることができないタチなので、とにかく、気になる方へふらふらと歩いていく。

勢いで撮り歩く

歩き始めは、何かすごいもんを撮ったろかいと、心の中で闘志を燃やし、でも、顔には出さず変なおじさんがでかいカメラを持って、街歩きをしているというていで、歩く。

もちろん、気合を入れて四方八方に目配せをしつつ歩き、これ!て目が惹きつけられたものを、たったと撮っていく。

数日居た高松の街もそんな感じで、中心となる立派な商店街をひたすら歩き、買い物客や、小粋な店を撮り歩いた。

出会いの神との出会い

まあ、一日二日ぐらいなら、人と店でごった返す中央商店街を写すのは飽きないのだけど、これが三日以上となると、さすがに飽きが出てくる。

あらかた撮ったなあと、手持ち無沙汰にカメラをぶら下げ、写す気持ちが失せた呆けた面持ちと足取りで、糸の切れた凧の如く、今まで足を向けなかった方向、地元の人が数名たむろしているだけの、陰気な路地へ足が流された。

が、こんな時に出会いの神は訪れるのだ。

こんなところにこだわり小映画館

何気なく、高松の商店街をひたすら寂しい方へ歩いていると、右目の端に、夕光で黄金色に輝く路地が美しく映え、写欲にそそられ、そちらの方へ歩いて行った。

残念ながら、シャッターを押すほどの場面には出会えず、立ち去ろうとした矢先、今度は正面に気になるものを見つけてしまった。

なんと、そこにあったのは上映映画のポスターだった。

とうの昔に高松の巨大な商店街からは映画館というものは駆逐されてしまったと思い込んでいたのに、どっこい、(すごい陳腐で古臭い表現で失礼)小さいながらも、根強く生き残っていたのだ。

上映品目を見るに、なかなかこだわりの乙な作品が並んでいた。

時間と、お金と、ほんの少しの好奇心があれば、ふらりと階段を進んでいただろうに、その勇気は持てなかった。で、記念に映画の上映作品と、看板だけを写し、背を向けたのだった。

輝く「本」の文字

場所は商店街かは少し外れた、住宅街と言っていい。もう、民家ばかりでそそられるものはないだろうと、ふと、目を上げると「本」という文字が光り輝いていた。

こんなところに本屋があるのかと、進んでいくと、小ぶりながら、地味ながら、本屋があった。それも、街がどの古びた本屋ではなく、本の陳列を凝りに凝ったこだわりの本屋だった。

中にいるお客は、店にそぐわないことはない。ちょいと、インテリ風の人々。

間接照明の薄暗い心地よさの中、少ないが吟味された本を手に取っては、それぞれが自らの世界の中へ旅立っていた。

知性のかけらもない僕だが、こんな本屋はそう巡り会えない。知的雰囲気に気圧されながら、中を一周ぐるりと歩き、並べられている本たちを手にとって出会えた喜びに浸るのだった。

当てどもなく歩く先

見ず知らずの初めての土地で、当てどもなく歩いた先に、予想を超えた、心の琴線に触れるものと出会うのは、放浪散策写真家もどきにはこたえられない喜びである。

これがあるから、今日も明日も明後日もカメラを持って街をふらついているのだろう。

ちなみにこの写真は話の内容とは違うけど、iPhone片手にふらふら歩きながら撮り歩いた高松の港の風景。味があっていい感じ。

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