凡庸雑記「映画」

実は、僕は、映画、青少年だった。

中学高校の時から、足繁く映画館に通い、大阪で就職してからも、梅田や難波に一万円を握りしめて、映画館に行っていた。

もちろん、観たい映画が仕事よりも優先されて、時々、サボっては名画座あたりに出没していた。

昔は(いつの間にやら僕が昔話をしてしまうだなんて哀れだ)、味わいのある映画館が、路地の至る所にあり、それぞれが映画を観る雰囲気を醸し出していた。

確かに、汚かったり、無愛想だったりしたけれど、映画を観るための、その気持ちにさせるための、欠かせない場所だった。

そこには、もれなく、時々、映画を愛している人が集まり、映画そのものも感動させてくれたが、偶然出会った人にも、しみじみ感動させられた。どうしてだろうか、今ではなんだかそんな人と出会わなくなった。

絶対数、通わなくなったせいでもあるし、あまりにも映画館が殺菌されすぎたせいなのかもしれない。と、勝手に思っている。

ビリー・ワイルダーの「昼下がりの情事」を観た後、映画館をゾロゾロ皆が出ている時に、感慨深く感動を噛み締めて、その後をうろうろついて歩い的に時に、目の前を歩く高齢の女性に、その孫らしき女の子が、”よかったね”と、笑顔で話しかけていた。

高齢の女性はそれに対し、語らず、ただ笑顔で答えていた。

これぞ、感動、感想、感情。ええもん見せてもろた。と、映画で感動し、観客で感動し、一粒で二度美味しいとはこのことと、足取りが軽くなり、心の中でこう呟いた「いや〜映画って本当にいいもんですね」(もう、知らないだろうなぁ)

映画が人生の全てとは言わないが、全く、いい後も、楽しい前も無い人生の中で、唯一の希望みたいなものだった。(そう言えば、淀川長治がどんな映画でも希望を持っていると言っていた)

大したことのない人生を、青色吐息で生きていくための緩衝材として、映画館の暗闇に身を沈め、古今東西の名作・秀作・凡作・駄作を観ることが、唯一の悦楽だった。そんな時があった。

だから、挙げ句の果てに、自分が映画監督になったならと妄想までし始め、それなら、映画を見続け、映画館の中で、静かに息を引き取る男の物語を作りたい。なんて、陳腐な物語をと、空想した。

無論、感動的青春ストーリーの如く、原稿用紙に向かって脚本を書くことなどせず、はたまた、キャメラを持ち出して、撮ることもせず、頭の中の金庫に固くしまったままだけど。

でもだ、今は、その時の映画に対する唯一無二のかけがえのない愛情は霧散している。

なんでだろうか。街の映画館が消えて行き、ヨーロッパやアメリカ、そして、日本の巨匠と言われる監督が没し、目で追えないぐらいスクリーンの中を、宇宙船や怪物、そしてヒーローが縦横無尽に飛び交うようになって、あゝ、終わったんだなぁと、実感した。

もちろん、今でも胸を打つ作品は、現れる。そんな時には、映画ってやっぱりいいもんだと、思いはする。が、のめり込むほどの思いは今や生まれない。それが、大人になったということなのか、世界が着実に流れているってことなのか。

ようわからんけど。

で、今や、あれほど毛嫌いしていたアニメに、昔の映画のような没入感と、妄想と、愛情を感じてしまっているのだから、この歳で、ほんまようわからん人生や。

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