勢い良く受けた試験が落ちた。
自分の中では、そこそこいけると踏んでいたから、ショックが大きい。
日本海溝よりも深く落ち込んだ心は、立ち直るすべを得ず、光のささない暗闇の中へ。
この日、試験が終われば、解放された心地よさの上、歩みも軽く写真を写すはずだった。
そんな気持ちは吹き飛び、愛しいカメラを取り出す気力は、どうしたって出てこなかった。
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それでも、景気付けに昼食に焼肉定食を食べ、街をあてどもなく歩いていたら、背負ったカメラの重さに写すことをせっつかれ、しぶしぶ取り出して、土曜日の中歩く幸福そうな人々を写すことになった。
ため息をつき、同じ回数でシャターを切り、街を歩いた。
幸いにも、青い空と適度な雲は、撮影するのには心地よく。僕の気持ちは捨て置いて、シャター音が軽やかに空を駆けていく。
僕は思う。こうして心に真影な溝を抱えた男の話を書いてみるのも面白いと。喜びも、悲しみも、幸福も不幸も、希望も絶望も、全てが書くことへの糧となる。全てが存在の証明となる。
どれほど悲しくても、価値がある。
慰めかもしれないが、今日のネタにはなったのだ。貴重な結果になったのだ。過去に戻れぬ能力を持たない僕は、そう思うししかない。正しいことに違いないが、足場のない気持ちは、不確かな諦めに寄り添うことしかできない。
気がつけば、夕暮れの光に照らされた朽ちた建物の、儚げで、夢のような美しさを、惚けた顔で眺めていた。
そんな僕を、若い人が驚いたような陳腐なものを見たような顔で見た。
夕暮れの街で、皆、慌ただしく、スマホを眺め、下を見つめ、人との会話に奪われて、歩いている中、惚けた顔で遠くを見つめいる男なんて、珍しい。それが彼女の表情の理由なのだろう。
この人生で二度とないだろう陳腐な出会いが、彼女の糧になるのか、早く忘れてしまいたい現実になるのか。
僕にはあずかり知らぬことだけど、夕日の中で儚く浮かび上がる朽ちたビルを、心から美しく愛おしいと、傷心のそのまま、感動している男を見るのも、悪いものではないと、思うのだ。
残念なことに、その時の風景は、見とれてしまって撮る機会を失ってしまった。iPhoneで撮ればよかったと、少し後悔。しかし、何事もそうだが、後悔はどうしたって取り消せない。落ちた試験のごとく。
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