鈴木敏夫のジブリ汗まみれを聴いていたら。人生無駄がなきゃダメだと、言っていた。

相変わらず、独断的に自信たっぷりに語る人だと、感心しつつ聴いていた。

そう言えば、僕は無駄が唯一の友人だ。

僕が愛するものや、近寄っていくるものは、すべて無駄なものばかりだ。有意義で価値ある人生を送りたいのに、無駄に囲まれて何とは無しに生きている。

もちろん褒められた結果などありゃしない。







どうにもこうにも無駄なことばかり、愛してしまうのだろうか。ときどき考え込んでしまう。それで、人に認められ、自分も自画自賛し、物質的な恩寵に浸れたらいいのに。

芸術家とかアーティスト、起業家もそう。無駄なことをしているようで、人には出来ないことを高品質で成し遂げ、こうなり成し遂げる。無駄ばかりな僕は、そういう人生を望んでいたし、それしか人並みに生きていけないと知っていた。

ただ、そう上手くは行かなて、無駄なことは無駄のまま、利益にも特にもなりゃしない。

世の中で、普通の資産と立場と環境を手に入れている人は、すべて無駄がない。仕事に関係あることしか興味を持たず、そのために四六時中ことをなしている。人間関係もしかり、自分に関係があり益になる人しか付き合わない。

僕もそんな人生の選択を行い、人並みの人生というものを手に入れたかったけど、ここまで来て、こりゃ無理だなあと、諦めている。無駄な人生を突き進んでいくしかないのだ。

無駄なこと、今思いつくだけでもいくつかある。

Apple製品がその筆頭。これほど無駄なものは世の中にない。だった、Windowsがあればことが十分足りる。というか、世の中平に広く見晴らすと、それしかないのではないか。全人類のほとんどがそれを使い、素晴らしい人生を生きている。

Apple製品など世界には必要ないのだ。

それに、密かに、静かに使うにはAppleはおぞましいほど高価である。必要ないものがこんなにも高価とは、これほど理不尽なことはない。どうぞ使ってくださいと、バナナの叩き売りをやらなきゃいけないのに、神棚に祀っている。

ジョナサンアイブの自伝を最近読んでいる。

皮肉すぎて笑いが止まらない。

Apple製品は徹底して無駄を排除して、より、簡素で、使いやすく、心地よいものを求めている。ボタン一つ、本体の素材の色合い、それどころか、光の反射具合、手触りまで、いくつも試作を繰り返し作り出している。

一片も無駄のない製品を作り出すために。

こうして、無駄のない製品を生み出し、世界からは無駄として受け止められる。

本当にAppleって、必要なの?

でも、どうしても惹かれてしまう。愛してしまう。それが、満たされない自分の自己顕示欲を消化するためのものかもしれないけど、それでも、使いたく側に起きたくなる。

無駄なものが一番面白い。そう、思っている。

後、バイクなんかも好き。これも無駄。

それから、芸術作品一般もそう。これも捨てられない。

百姓の小せがれである僕は、芸術など創作物全般、映画や小説、音楽がどれほど食料を生み出さないのか実感している。食べていくには無用のものである。そんな無駄なものをせっせと取り込んでも米はできない。とうもろこしは実らない。

それでも、惹かれてしまうことを、ほんとうに無駄な行為だと、ほとほと哀しんでいる。

どうしてかわからないけど無駄なものばかりを好きになるのは、僕そのものが、無駄なのかもしれない。同類相憐れむというものか。でも、僕が好きなものから、無駄なお前なんか同類じゃないと言われそうで怖い。

でも、無駄がなきゃ駄目って本当なのだろうか?









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