凡庸雑記「帰省」

帰省

今回久しぶりに帰省をした。

コロナも落ち着いて、ようやく入院している父母を見舞うことが出来るようになったから。4年ぶりだろうか。

それに、長らく出来ていなかった墓参りも。

信仰心があるわけではないが、やはり、年に一回ぐらいは、いや、2年に一回ぐらいは墓参りしないと、どうにも腹具合が悪くなる。

これぞ神の導きか

我が家のお墓と、父方のお墓。実は、父方のお墓はほとんど訪れたことがなく、場所も分かりにくいところにある。行けるかと心配していたが、iPhoneのマップの威力は凄まじく(そんな大袈裟な)思い当たる付近の墓地を検索し行ってみると、見事、お墓を見つけることができた。

これぞ、神の導き、先祖の願い。父方、母方それぞれ墓参りが叶い、この時ばかりは、信仰心のない僕でも、本当に良かったと胸の支えを下ろす。

当日、徳島は激しい雨風が吹き荒れる台風の真っ只中。それが、不思議なことに、双方の墓参りの時には、雨が止み、青空が見えた。そして、終わるや否や、再び激しい雨風が。

偶然かもしれないけど、なんだか、神妙な気持ちになる。

旅の道連れのはずが

で、話は趣味のことに。久しぶりの帰省。ちょっとした旅模様。これは、持っていかねばならない愛用のNikon Z6 を。レンズは気合を入れて、久しぶりに写りの良いS LineのNIKKOR Z 24-70mm f/4S。

しかし、これで旅の出会いをバンバン撮るぞ持ってきたのに、どうにもこうにも、鞄から取り出すきっかけを失って、結果的にはいっさい写せないまま終了。

家族の旅が主だから

家族の目線が気になるのも一つだろう。家族での帰省が主、僕の写真撮影ではない。慌ただしい家族の時間の中で、それなりにでかいカメラをぶら下げて、あちこち撮ってたら、不審者みたいで格好つかぬと、言われ後ろ指を刺されてしまう。

NIKKOR Z 24-70mm f/4Sを付けた、それなりにドンと長くて大きなカメラを、家族との旅の間にぶらぶらさせるのが、とっても、気恥ずかしかった。正直な気持ち。

小さな40mmなら

これが、Nikon Z6 NIKKOR Z 40mm f/2の組み合わせならどうだっただろう?写りは多少落ちるし、単焦点の弱みで広角と望遠は捨てることになる。だけどだ、あの何事もないような、しれっとした、小さな佇まいは、余計なことを許そうとしない慌ただしさの中には、波風立たせない気持ちよさがあるのではないか。

あれならば、NIKKOR Z 40mm f/2ならば、家人の目に留まらぬ速さで取り出して、気がつく前に数枚撮影し、気付いた後のしっかりと嫌悪される勇気を持てたのかもしれない。

全てよりも手軽が良い場合

デカくて、大きいものは、それなりに意味があってのこと。それを使えれば間違いなく、何段か上の結果を得るだろう。だけど、若干劣ったとしても、小さく軽く、手軽な方が、創作の機会と結果を数多く吐き出せるのかもしれない。

結論、旅のお供はiPhone(?)

で、結果。今回の旅の写真は全て、我がiPhoneの賜物である。

それにしても、iPhone(だけじゃないが)のカメラとしての威力は素晴らしい。小さく軽く、常に持ち歩く。食べている時、歩いている時、つまらぬ話に何気なく相槌を打っている時、さっと取り出し、パッと撮れる。それが、それなりに綺麗なんだから。

感嘆以外の何者でもない。これじゃ、普通のカメラが売れなくなるはずだ。数百万かけてカメラを新調するよりも、最新のiPhoneを買った方が良いのかも。高くたって、20万もしないのだから。(カメラ好きがなんたる暴言)

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