凡庸”休日”雑記「風」幕張スナップ写真

日曜日の、休みの日の風が好きだ。

なぜか柔らかく、心地良い。こんな余裕は仕事が有る平日では感じない。

これは魔法や、神秘でなく、身もふたもない現実として、仕事の連絡が無くて、それに対して行動をする必要が無いからだ。

要するに、他人による責任の押し付けに、汗をかきかき対する必要がないから。

一般成人男性。それも、家庭を持っている存在として、身体にまとった社会的責任と責務で縛られているどうしようもない現実を、かりそめながら忘れることができる。

日々、時々刻々、瞬間瞬間、仕事のことを忘れず、次々と手を考えていることこそ、人として、ちゃんと成長できる伝説は、まごうことなき真実かもしれないが、最近かなりくたびれてきている、この身としては、できることならば、願うことならば、仕事なんかやらなくても、楽しく生活ができた方が、正解だと思ってしまう。

もちろん、人間には仕事が一番手っ取り早く生活の糧を得る術だし、おまけに、人としての性能を上げて、尊厳を高める手段でもある。

でも、日曜日の風に吹かれながら想うのだけど、この精神状態で、もし、好きなことだけを出来たならば、きっと、無常に楽しく豊かな人生を生きることができるに違いないと。

やるとこ、それはすなわち誰にも強制されず、義務と責任を背負わず、徹して自分の感情と愛情を極める、世の中でいうところの”趣味”というやつを、肩のこりを体感せずに夢中に集中してやり切れる。

冷静にこんなことを望んでいる自分自身を振り返るに、こんな歳になったのに、圧倒的に”少年”だなと絶望してしまう。いい加減、あらゆる責任の重圧を、苦虫をすりつぶした風貌で表現し、バカ高いウイスキーを、洒落たバーで飲みつつ、静かに愚痴る。そんな大人になりたかったなぁと、吐露してしまう。

こんなことを、休日の風に吹かれて、ぼんやりと考えてしまった。明日からの仕事、やっぱり、したくないなぁ。イヤだイヤだ。

こうして、アホな写真をぶらぶら撮って過ごしたい。

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