三脚って、使っています?必要なのかどうなのか。

いい写真を撮るのに大切なのは、しっかりとした構図を決めて、手ぶれを起こさないことです。 その為に、普通使うのが三脚です。プロも必修ツールとして、強く薦めています。

風景写真には重要で、必ずといってほど、使っています。ぼくの好きな写真家も、三脚を肩に担いで、山野を撮り歩いてます。

写真を始めたばかりの人は、歩き回って勝手に構図を決めるので無く、しっかりと三脚を立て、構図をしっかりと決めて、納得いくまで確かめながら、撮ることが上達の早道とも、聞きました。

重くても、面倒でも、時間がかかっても三脚は立てなきゃいけない、それが常識でした。 ぼくが大好きな風景写真家の方々も、かならず三脚を持ち歩き、撮影ポイントに付いたら面倒でも取り出して、構図をかっちり決めて撮影に臨んでいました。

竹内敏信氏という尊敬すべき風景写真家がいますが、機動性を重視し、35mmフィルムカメラに、ズームレンズという、当時としては異例の機材で、風景写真に躍動的な表現を与えました。そんな、革命的な写真撮影をしていた同氏でも、三脚は必ず使っていました。

風景写真には、構図が重要。そして、手ぶれは精細な写真を完全に駄目にする。それを解決するのが三脚でした。もちろん今でも。

そんな常識を真っ向から反対する写真家がおられました。

Macのデスクトップ写真で、有名になった方です。あえて名前は出さないでおきます。

写真を撮るのに、いちいち三脚を出してセットしていては、場所を取ってしまうし、第一太陽の位置が変化して、最良の撮影ショットを逃してしまう。一瞬を大切にする撮影には向かない。と、説明しています。

この撮影法も一理あり、これだけ、手ぶれ補正が高性能になり、高感度にも強くなり、レンズも大口径で光をあますこと無く集められるようになると、三脚で機動性を殺すよりも、手持ちで素早く撮影した方が、いい写真をとる機会が増えます。

事実、その方の写真は、絶妙に光の変化をとらえ、風景の一部に取り入れ、色彩の一部として、写真の中にこれ以上ないほどの、重要な価値を与えています。これほど、光の創る色彩を、自分の創作物の中に取り入れ、合わせるためには、一瞬の時間でも永遠のようにもどかしいのでしょう。

写真好きとして、彼が、三脚を嫌う意味がよく分かります。

構図の問題も、長年プロとして三脚主流の時代から撮っていたはず。体の芯まで自分の構図が入っている。三脚であれこれ構図を決めたり、水準器をのぞき込みながら、水平を神経質に調整しなくても、カメラを構えた瞬間、構図と水平が決まります。つまり、三脚の必要性がない。

三脚不要は、同氏のプロとしての豊富な経験と、高い技術に裏付けられた結果の、結論なのかもしれません。だから、ぼくとしては、本気で写真を選んだ人は、同氏の考えを受け入れつつ、ある程度の期間は、三脚を使う必要があった方が良いと思います。

まあ、三脚を必要とするカメラや、撮影対象はなくなりませんので、根強くそれを支持する人もいるでしょう。

三脚をいらないと言われているカメラマンも、あくまでも自分のスタイルなので、絶対では無いと思います。一番大切なのは、ひとかどの表現者になろうとするなら、人のスタイルからありがたく学び、それでいて、それに振り回されること無く、自分のスタイルを作り上げることが重要なのでは。

でも、必要だと偉そうに書きながら、きっとぼくの場合、三脚は面倒ですから使わなくなるのです。それなら、三脚無しで楽に撮れた方がいい。やっぱり、これからは、ノン三脚主義で行ってみようってことですか。でも、こんな軟弱な考え方では、やっぱり上手くはならないか。