進撃の巨人シーズン3の2・16話は本当にすごかった。

ラストのエルビン団長の演説は鳥肌ものでした。完全に怯えた新兵達をどうして特攻に駆り立てるのか、色々と想像していました。

でも、その一歩も二歩も先に進んでいる完璧な演説でした。

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最後の リバイとの静かな会話。語りながら自分の夢と、それを諦めていく過程が、胸に深く鈍く押し付けられて、例えようもない儚さを感じます。

多くの戦場で、このように自分の未来と、それの延長線上にある夢、それを作るであろう希望を、あえなく捨て去る現実が繰り返されている。

多くの映画や、小説で語られてきましたが、初めて実感を伴った悲劇として感じました。

たかが、アニメなのに。失礼ながら。

今まで、進撃の巨人を楽しんで観てきました。多くの絶望が支配し、希望が砕け散る悲しみを観てきました。でも、涙腺が緩むことなどなかった。

それが、今話。初めて希望を捨てた姿を見、緩む自分がいたのです。

ある種の未来(夢)を自分の中で見ることは、自分自身の勝手な部分です。でも、それだからこそ、世界の中での自己の存在を見つけ出すことができ。存在の価値を得ることができます。

それを果たしたいし、果たせるものだと誰もが信じて生きています。それを、絶対的な現実の中であえて切り取り、意に染まない方向、自分が想像だにしなかった結果を紡ぎ出す。

意志の強い、もしくは未来に対して確固たる希望を持っていた人なら、どれほど苦しいことなのか。日頃、流されるまま凡庸に生きている僕でも、おぼろげながら理解できる。

そのような結果を選択せざるを得ない人に対して、無性に共鳴し、共に苦しみを理解しようとしてしまいます。

そう言えば、ブレードランナー2049もそうでした。

自分は、レブリカントの希望となり、導くものとして存在価値を証明できる。そう、主人公は信じ前に生きようとします。しかし、結果は他の多くのレブリカンと同じだった。

そして、彼が取った行動は誰かのために自分を犠牲にすることが、人間らしい価値あることだと、本当に特別な価値ある存在を身を呈して守りきる。

今回のエルビン団長も、自分の願望、夢、未来を捨てて、全体を活かすために自らを犠牲にし、なおかつ、歴史に残るほどの演説を行い、多くの若者を死地へ引きずりながら、前進して行きました。

ゲーム・オブ・スローンズが最終章を迎えました。僕個人的には次に進撃の巨人を同様のクオリティでドラマ化して欲しいと思います。そして、より多くの人々にこの絶望と希望の物語を知って欲しいと願うのです。







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