凡庸雑記「ゴールデンウィーク」

ぶらぶらゴールデンウィーク



今年のゴールデンウィークは全くやることがなくて、家でぷらぷらしていた。

ひどく体調が悪く、時間があるならカメラを持ってスナップに行くのが常だったのだけど、外に出るのが億劫で、家で本ばかり読んでいた。

だけど、粗大ゴミとして出されるのが恐ろしく、家人が与える業務には素直に従っていたから、現実はそれほどゆっくりとは行かなかったのは、哀しいところ。



痛い腰を上げて街に出る



さて、ゴールデンウィークの日々、このまま自堕落に垂れ流したままでは、今後の人生が立ち行かなくなってしまうのではと、痛む足腰を奮い立たせて、ひさしぶりに街へ出た。

あまり乗り気ではなかったが、一応肩からNikon Z6をぶら下げ、気が向いたら撮影することに。



大家の如く人の真摯な表情は無理



身体が思うようにいかず、気合が入っていない時には、人様に向けレンズを突き出すことが到底できない。

勢い持ってきたが、なるべく差し障りの無いものばかり写して歩いた。

どれほどガン見でシャッターを切っても、文句ひとつもなく、訴えられることもない、安全安心な被写体を狙っては撮っていく。

こんな時、つくづく写真家には成れやしないなあと、前々から思ってしまう。

機会の多い、街角のスナップ写真。その大家たる憧れの写真家は、街の風景を写しながらも、肝となる場面は、見ず知らずの人との真正面からの撮影を挑んでいる。

人間が基本的に嫌いと言えるほど苦手で、可能な限り人との精神的、物理的接触を避けようど日々努力している。だから、見知らぬ街角での一期一会の出会いを、心からの喜びを持って受け取ることは難しい。

いつか、憧れの写真家みたく、見ず知らずの人の顔から、人の真摯な表情を捕まえることができればと、妄想に浸る日々である。



ゆったりと書店を回遊



街に繰り出した目的は、写真を撮影する以外にもある。あまりある無駄な時間を使い、ゆったりと無意な時間を、書店で過ごすためだ。

近くの書店がこの数年で矢継ぎ早で倒れ、書店が貴重な存在となってしまった。いつでも、どこにでもあると思い込んでいたものが、瞬く間に消えていく。諸行無常とはこのことだと、知った。

近くに書店があった時には、会社帰りに必ず立ち寄っていた。食事の如く不可欠な行為だった。10分程度の時もあれば、気がついたら小一時間書店の中で回遊していた時もあった。

長い間、書店の中を歩いていると、日頃は訪れないコーナーに足を運ぶ。日頃は考えもしなかったことについて書かれている本との偶然の出会いは、強い知的好奇心をもたらせてくれた。

だけど、次があるはず、そのうちいつか、と、いつも余韻を残しつつ去ることが常で、本を買うことはほとんど無かった。

今、気がついたら幻と消え、次は無くなってしまった。

で、この何にもない休みを利用して、再び無意に書店の中を、徘徊することにしたのだ。



買ってあげることが現実的



ぼんやり、はんなり、書店の中を回遊して、本の表紙を愛でつつ、気になったら手に取って、中身を一行二行呟いて、次に移る。

なんとも、優雅なひとときだろうか。ほんとうにうれしかった。

書店が身近から消え、やはり改めて思う、書店を回遊し、書との邂逅(”立ち読み”とは言うまい)は、人生を一段も二段も豊かにするものだと。

でも、偉そうなことを言いわず、せっせと本を買ってあげた方が、書店はきっと、喜び安堵するだろう。絶対的な現実として。



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