凡庸”不確感想”雑記「アリスとテレスのまぼろし工場」

今さっき見てきたばかりの、正直な感情を走り書き。あてにはしないで。

感想として、全編話の流れか遅く想像の速さに比べ何段も遅く感じた。衝撃的なCMで余計な想像を膨らませすぎたせいだ。

刺激的で疾走感のある場面展開と、むき出しの感情を吐き出した、痛いセリフで満たされていると思っていた。もちろん、人によっては、岡田麿里らしい、人の感情に手をのめり込ませる部分を見つけられると思う。僕は見つけられなかった。

だが、この僕の見解は、多分認識不足の嘘である可能性がある。細やかな暖かさと、無慈悲な痛みを伴う、思春期の生まれたての愛を、絵空事の冒険小説ではなく、絵空事の世界の中で、厚い真実として語っている。

この部分は、岡田麿里氏の全き世界。彼女の創作者としての面目躍如。のめり込みはしなかったが、その見事さには舌を巻く。

だけど、わかったつもりでいるのに、どうも、感情が上滑りして仕方がなかった。

これはあくまでも、初見の僕の感想なので、不確かなのは間違いない。だから、精魂を込めた作品には間違いないので、我が目で確かめて方がいい。何よりも、もったいない。

どうして、こんなにも入り込めなかったのか。一番は、あのCMだと思う。初めて、YouTubeで流れた時の衝撃は並大抵のものではなかった。わずか1分そこそこで、重量級の小説を読み切った、数時間の大作映画を見切った。圧倒的な満足感があった。

そして、前代未聞の歴史的作品に出会える、無限の興奮に満たされた。意識が、縦横無尽に飛び回り、まさにこの作品と同じように、架空のまぼろしを、この心臓にまとわせた。

宮崎駿の新作「君たちはどう生きるか」が全く宣伝を消して、無知識で見ることを強いた。そのおかげで、純粋無垢に作品と対面できた。これは、とても嬉しいことだった。

刺激的で、鮮烈なシーンが散見するこの映画。だからこそ、あれほどまでにCMは心に刺激を与えた。だが、それをつなぐ脚本と編集が散見する場面を切り捨て、収拾できなかったのではないかと思った。絵、声、動それらがあまりにも、捨てるには惜しいものだったから。

ただ、ラストにつながる、最後の場面の連続は、ここは演出も、内容も、素直に感動した。

あと数分で終わろうとしている場面の、主人公たちの会話に、やっとかと、安堵とも心残りとも言える想いになった。

泣きはしないが、十分感動した。

夢中になって、物語にのめり込むことはできなかったが、一つの青春の恋物語として、田舎都市に生きる市井の人々の喜怒哀楽と希望の物語として、もっと、もっと、深く熟考しつつ、何度も見るべきだった物語だったかもしれない。

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