凡庸雑記「書店」愛知の小都市で出会った双子の書店

小都市

愛知県の小都市に行ってきた。

昼ごはんを食べるついでに、駅の付近をうろうろ歩く。悲しいかな、愛用のNikon Z6は荷物になるので持ってこず、写真を撮らずにただ歩く。

長く続く商店街や、馴染みのファミレス、ファーストフード、そして、スタバやターリーズなどない簡素な街なのに、駅の周りには立派なショッピングセンターやタワマンが。さすがトヨタグループのお膝元。ビルには、スーパーと雑貨や薬屋。それに、ちょっとした洋服店。そういえば、サイゼリアがあった。外観の割には、中身はとても地味。

昼はサイゼリアで、ランチとドリンクバー。安く時間を潰せて最高。最近昼のランチがかなり寂しくなった。厳しいのだろう、残念だけど無理は言えない。

双子のような

少し離れたところにも、よく似た中身のショッピングセンターがあった。中身の具合は駅前のそれと双子のよう。さほど広くはない。だけど、人と車はとんでもなく多く来ていた。

同じ、商圏で二つも同じような店があって、それでも成り立っているのだから、この街と人の底力を感じる。近頃地方では、軒並み駅前のショッピングセンター(デパート?)が潰れ、埋め合わせるように、ドンキが入っていたり、100円ショプが埋め合わせたり、図書館や、役所など自治体がなんとか使っていたりするのに。

心驚く書店が二つ

それはいいとして、(別にいい悪いはないけれど)驚いたのが、それぞれの店の中に、書店が入っていたこと。それも、かなりでかい本格的な書店が。

世の中、街からどんどん書店が消えている。

僕の生活圏の中の書店は壊滅した。ちょっと前には、ほどよい息抜きの場として、存在していたのに、それは幻だったのだろうかと思えるほどに、消えていった。

こんなことは、世界中のあちらこちらで起こっている。

広大な店で感じた物足りなさ

この間、大阪門真のららぽーと門真に行ったのだけど、とんでもなく広いショッピングモールの中を果てしなく歩き、その量と多様さに打ち震えた。が、途中で何か強烈な物足りなさを感じた。

その時、思い出した。そうだ、まだ書店に出会っていない。

普通はこれほど広い店構えならば、目につく場所に、正々堂々、有名どころの書店が入っているのが当たり前。幕張イオンならば、TSUTAYA書店、何はなくとも、そこを目指して訪れる。

喧騒に包まれる、雑多な店の中で、一服の清涼剤、オアシス、知性のたまり場として書店はその意味と価値を歌い上げていた。必要とされていた。はず今までは。

目を皿のようにして見つけたが

でも、見当たらないのだ。無印も、ユニクロも、家電店も、シネコンもあるのに。ワンピース欠けている。まさか、とうとう落ちぶれた書店など、放逐されてしまったのかと、気持ちがざわめく、落ち着いて店内の地図に目を落とす。すると、名の知らぬ書店が、わずかな場所で開いていた。

脇目も振らず、その場所に行くと、確かにわずかばかりの空間で、書店が営んでいた。

この大きさに比べて、あまりにも物足りない。なんとも言えない残念感に肩を落としながら、店内の書を物色し、見るものはないかと早々に後にした。

世の中の流れがこんなのだから、さほど大きくない街に、隣接して二つも立派な書店があったとこに、素直に感動した。そして、なるべく長い間続くことを祈った。

矛盾した感情、うそぶく心

そんなことを書いていながら、すごく矛盾していることだけど、帰りの新幹線の中、ずっと、ネトフリで「マスクガール」を観ていた。こんな時ほどゆったりと、紙の本でも読めばいいのにと、ほのかな罪悪感が頭に浮かびながらも、現実は愚かしくも、目に優しく、容易に刺激を感受できる動画配信が楽しくてしょうがなく、逃げも隠れもできないでいる。

本を読む効用も多々あるようなので、街角の本屋を救済するためにも、エイャと時間を決めて、これからは必ず本を読まないとと、今日も今日とて、気持ちばかりで、できないことをうそぶくのだった。

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