カポティを観ている。
最高の映画だ。主演のホフマンが死んで
もう彼の演技が見られないと 思うと実に残念だ。

文章を書く人間は狂気のなかで生活しているのかも
しれない。孤独の中でしか生まれてこないものを
相手にしているからだ。

多くの文筆家が死をもとめた。村上春樹はそれに
抗うために、走り、体の痛みや、苦しみを自分に課した。

菊池成孔が、文章が引き込む現実との乖離を警告した。
彼自身、文章を書き、その狂気を身にしみて体感した人だ
からか。

それでも、文章が持つ魅惑と罪悪が人生の嗜好になるこ
とは間違いない。人生の、純白のキャンバスの上の、鮮や
かな絵の具のように。

この作品でトルーマン・カポーティは歴史に残った。が、
ぼくがこの本を読んだ時、彼の才能の一部しか現れていない
と感じた。だが、この作品を書き終わった後、彼は、文章の
渦に巻き込まれ、退廃の奥に落ちた。本当に残念だ。

次のない未来に、彼を落としたのは何だったのか?
彼の才能を現実が駆逐したのか?彼が作り出した文章に、
自身の人生を捕食されたのか?今は知る由もない。

それにしても、主演のフィリップ・シーモア・ホフマンが
壮年になり、顔つきがどんどん良くなって、役者の幅が
無限に広がろうとしていた矢先、薬物中毒で亡くなった。

二人とも才能の途中潰えた。皮肉な運命だ。

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