凡庸雑記「読書」
この間読んだ雑誌の中に、認知症予防のためには読書が良いとあった。
認知症なんて考えたくもない病だけど、どうも気になって仕方がないお年頃である。まだまだ、先の話と笑い飛ばせばいいもんだけど、あっという間に毎年過ぎていくのを眺めるに、気がついたら現実的な恐怖に代わっているのだろう。
単純な僕は、それならばせっせと読書をすべし。
そう、思い立ちKindleを手にとり読み始めるのだけど、あまり長い間保つことができない。やはり、ふんだんにある、動画配信の映画やアニメを観てしまう。
気がついたら、日常の大半を費やして、読書が入る隙もない状態だ。
こんなことではいけないなあと、毎日時間を決めて、コツコツと本を読む癖をと思うのだけど、華々しい動画の世界に浸った生活を送っているせいで、音も色も、動きも無い文字の世界がどうにも物足りなくなっている。
こんな戯言を言う僕だが、幼少のみぎりはかなりの読書癖があった。病弱だったため、しょっちゅう熱や腹痛で布団の中の生活をしていたが、その時のお供は本だった。
静かに、天井に向かい、両手に本を持ち、現実から隔離された世界で、意識を存分に文章の中に滑り込ませた。この時の、何者にも引き離すことができない物語との密着、そして、そこから湧き出す幸福な集中は、今思い出すにかけがえの無い人生の喜びだった。
その時のことを思い出すたびに、絶対、再び、静かに深く本を手に取り、熟読する時間を持つ!と、決意はするのだけど、やっぱり、気がつけば、NetflixやAmazonプライム、YouTubeという、新たな文明の快楽に負けてしまうのだった。